セックスを蔑む社会(書き掛け御免)

息が上がりじんわりと汗が滲み、身体の火照りで色白な首元は赤く色付いています。向かい合い抱き合いながら、お互いに気持ち良さを、無言で見つめ合いながら確認ししています。時折身悶えしながら、首を激しく振り髪を乱し、訪れる快感の波に乗るかのように、官能的なシルエットを映し出します。快感という共通の甘味を味わい合う時間は、非日常的な夢のような時間でした。。。最高の快楽の後には、必ず強烈な睡魔に襲われます。そのまま眠りに着いたり、帰り道にウトウトしてしまう事が良くあります。どちらにせよ最高のセックスの後は最高の睡眠が訪れ、翌朝目覚めた時のそあ快感は、何にも変えられない快感です。これに変わるものはありません。。。

こんなセックスに憧れありませんか?

えーっ、こんな人は聞いた事無いし、居るはずがない!と思う方もいらっしゃると思いますが、自分の経験則で言わせて頂くなら、案外身近に居たりします。ただ表立って語られないだけで、凄く良いセックスライフを送っている方は実在しています。こんな方々が居るとか居ないとかの話は置いといて、どうしてセックスの話って、表立って語られないのでしょう?

語られないの最大の理由は、セックスが「秘め事」だからです。これは古代に遡り、セックスが積極的だった時代でもそうだったらしいです。セックスは2人だけ秘密としてずっと扱われて来ています。しかしそれだけが語られない理由ではありません。現在の私達の生きる社会では、セックスは遠ざけた扱いになっています。この共通認識があり、表立ってセックスは語られるなくなっています。

自分のセックスの話は恥ずかしくて人には言えない・・・、位ならまだ良いのですが、現在のセックスの遠ざけ方はもっと強力です。とかく日本においては、セックスはいけないこと、罪や罪悪感を帯びた扱いです。より効果的に遠ざける為に、セックスに罪の意識を添加しているとも言えます。

この遠ざけている状態は、簡単に見つけられます。卑猥、猥褻、淫ら、などなど、言葉としていやらしい言葉があります。言葉自体にいやらしさがありますが、直接的な表現なので、これ自体で罪悪感は感じません。これよりもっと強い、不純、不潔、ふしだら、など、これらの言葉は明らかに人格否定を帯びています。

明らかにエロティックである事が、いけないことになってしまっています。もうひとつとどめに、現在はエロティックな事を公で話すだけで、セクシュアルハラスメントとして扱われ、場合によっては法的な処罰の対象になります。「エロティックな想いは各々の隠しながら生きて下さい」を強要しています。これ完全にセックスや性を遠ざけて蔑んでいるように思います。

人はセックスによって生まれます。これは紛いもない事実です。セックスを否定する事は、人の存在すら否定してしまうのに、なぜ蔑み、遠ざけているのでしょう。

セックスは生殖に必要ではあるものの、それ以上にセックスを扱うと、規制という表現統制を敷き、法律やモラルでがんじがらめにしてしまい、統制を守らない場合は徹底的にそれを蔑みます。結果、遠ざけられ蔑まされたセックスは、モラルや倫理の名の下に「いけないこと」になってしまった訳です。

自分はこの現実がとても居心地の悪くて仕方がありません。余りにも心地悪いので、様々な角度からセックスを勉強し、今ここでこうやって書いているのも、この居心地の悪さが自分の原点だと言えます。

この話、とっても根深くて難しいです。だから、世の中でもまともに扱われません。なので恐らくこの項目は、永遠に書き掛けになります。完結するには、世の中に自分の考えが認められ変化が始まる直前まで書き続けると思います。

加筆、改変など致しますのでご了承ください。

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