私たちの幸せ

世界の幸せ

国連が、世界の幸福を比較調査したデータがあります。世界で皆はどの様に幸せを捉えているのか、各国の幸福の在り方の特徴、また幸福度の順位など、様々な観点から分析されたものです。興味がある人はリンクから記事を読んでみて下さい。

国際幸福度調査 World Happiness Report2020

結論から言うと、日本は豊かなのに(繁栄指数19位)、幸福度が低い(幸福度ランク62位)という現実です

その原因も書いてあります。日本は、豊かさ、安全、健康、などではトップクラスなのですが、圧倒的に「社会の寛容さ」が低いのが際立ち、その中でも、社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)という、人(親族以外)との、信頼関係や結びつきを指数化した比較で、132位という劣悪な環境であることが、幸福度を大きく下げていると指摘があります。締めくくりにも、日本は「豊かさのわりに幸福を実感しにくい」状況にある」と書かれています。

日本の幸せ

では、私達日本人の平均的な幸せの捉え方を見てみましょう。
信憑性の高そうな「幸せに関するアンケート調査」という記事の中に「幸せのため必要なこと」というアンケート項目があり、上位10項目が以下になります。興味のある方はは覧ください。「幸せに関するアンケート調査

【幸せに必要なこと】
1収入 2健康 3精神的なゆとり 4経済的なゆとり 5配偶者:パートナー 6自由な時間 7趣味・余暇の充実 8仕事の安定 9仕事の充実・満足 10安全で安定した生活環境・住環境
となります。

重複しそうなこともありますが、「健康」や「精神的ゆとり」以外は、環境や状況から得られる幸せが挙げられています。私たちが「幸せ」を「自分以外の環境要素」で決めていることがよく分かります。
先に指摘を受けている内容とドンピシャなです。
これは日本人の幸せの捉え方自体が間違っているという見方も出来ます。

同調圧力

寛容さといえば、昨今問題視される「同調圧力」や「〇〇警察」などの、当事者や関係者でもない人達からの徹底批判などが思い浮かびます。
話は少しズレますが、こういう現象は生き辛さの他にも、大きな影響を与えていることがあるようです。

日本はなぜ極端な”不寛容社会”になったか

この記事は、不寛容さの象徴として「不倫」「フレグランス」「喫煙」という、批判を受けやすい事柄を挙げ、批判が行き過ぎてしまうと、その影響で経済市場が縮小・消滅してしまう可能性を指摘しています。話の角度は違いますが「寛容さ」の大切さを書かれた内容です。
確かに、不倫でラブホテル業界はある程度成り立ってますし、香水だってつけないと困る人も居るでしょうし、喫煙者がいなくなったらタバコ税という莫大な税収を国は失ってしまいます。
主観的な好き嫌いだけで、それらを排除しようとするのは行き過ぎです。記事にもあるように、客観性を身につけることはとても大事です。

失った寛容さ

寛容さを、収入に対する寄付の割合で測った「急速に寛容さを失った日本人!!」という記事があります。基になったデータは前述の、国際幸福度調査 World Happiness Report2020と同じです。寛容さをお金で判断するのは、少し強引な気もしますが、それなりの判りやすさははあると思います。

興味がある人は元記事も読んでみてください。急速に寛容さを失った日本人! |

そもそも、おもてなしの心や、近所三件両隣りなど、他者を思いやる気質を伝統として世界に誇ってるのが日本人です。しかし慈善団体に寄付する割合は、世界で151位なのです。これが今の現実です。他国の習慣や制度の違いを勘案しても、寛容とは程遠いところにいるのが日本なのです。

被害者意識

週刊誌やニュースはゴシップでいっぱいです。SNSなどは当事者でも関係者でもない人の誹謗中傷で溢れています。こういうキレやすい人たちに共通するのが「被害者意識」です。

怒りと不満の「被害者意識」が覆う社会を生き抜くには

自分がよくいるSNSでも揉め事はよく見かけます。揉めた相手を悪者に仕立て上げようと、その相手を晒し投稿で責めます。そこに当事者や関係者でもない人からの賛同を募って、追い込んでいくのです。喧嘩両成敗といいますが、片方の主張だけを鵜呑みにしてコメントで中傷する人が時間と共に増えていきます。こうやって他者を巻き込んで、その相手を責め立てるのです。

こういうやり口は、リアルでもよく起こります。キレたり批判することで、自分の立ち位置を上げようとする行動です。自分を被害者にすり替え、先手で主張した方が得をする場面も良くあります。クレーマーなどは最たるものです。

歪みと不自由

三大欲求の歪みを「脳の構造と欲求と行動」で書きましたが、国は安全ですから睡眠は充分とれているでしょう。また国は豊かですから食欲も満たされているでしょう。しかし過去の性を遠ざける国策やその後の文化形成により、私達の性は極端に抑圧されているのです。この不自由さが、見知らぬ他者を許さない同調圧力だらけの雰囲気を作ってしまっています。
性的な不満足が、他者の幸せを妬み、上げ足を取り、目先の優越感を見たすことに振り替えられているのです。
発想の飛躍だと思う方もいらっしゃると思いますが、筆者にはそう思えてならないのです。

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