セックスの落とし穴〜セックスを諦める

私たちの過ち

えっ!?そんな人居るの??そこまで思ってないけど?まあそういう可哀想な人も居るかもね…。でも関係なさそうな話だなぁ・・・。

「セックスを諦める」この話を自分事では無いと思われる人がほとんどだと思います。しかし、無意識の潜在意識レベルで、セックスを諦めてしまっている人は実に多いのです。

男性の諦め

男性は、セックスを諦めている方の方が圧倒的な多数です。えっ?と思れるのも仕方がありません。男性は高頻度で性欲を感じる生き物ですから、セックスを諦めるなんて有り得ないと思ってらっしゃるのではないでしょうか。

そもそもセックスはカップルで行うもので、絶対的に1人では行えません。必ず相手が必要です。相手は彼女でも奥様でもセフレでも構わないのですが、男性の多くはそういう相手が居ても欲求不満です。常にセックスしたいと思っています。これは男性の本能ですから、簡単に否定する事は出来ません。

しかし現実は甘くありません。したい時に出来る程の時間もありません。また彼女や奥様がいらっしゃれば、別のパートナーを探せば浮気になってしまいます。仮にそれでも!と奮起して探しても、そう簡単にはいきません。

つまり男性は、自らの性欲に見合うセックスは出来ないものだとほとんどの方が潜在意識で諦めています、この段階では諦め自体が良い悪いはありません。この不自由なセックス環境をどう過ごすのかで、差は歴然としたものになります。

日々性欲と戦い続ける事はストレスになります。こうなると、男性は普段の欲求不満を僅かなセックスのチャンスに出し切ろうとします。この場合の出し切るは、おおよそ精液です。溜まったザーメンを出し切ろうと、セックスで頑張ります。結果、いわゆる子供のセックスに終始し、女性の性的満足を無視したセックスを積み重ねて行きます。

悪いのはこれだけではありません。セックス出来ないと諦めてしまい、ファッションや身だしなみに気持ちが行かなくなり、見た目にもしょぼくれてしまいます。

更に重症になると、セックスが出来ない事を周囲のせいにし始めます。イケメンじゃないからとか、体型が良くないとか、所謂コンプレックスを沢山抱えてしまいます。

男性は、自由にセックスが出来ないという諦めから、自らどんどんセックスとは程遠い所に自分を追いやってしまうのです。いや逃げてしまうと言った方が正解かも知れません。どうすればこれを避けられるのかは、女性の諦めの後にお話しします。

女性の諦め

男性は自らの性欲との折り合いがつかない事からの諦めでしたが、女性の諦めは真逆と言えるでしょう。女性がセックスを諦めるのには、何段階か階層があります。先ずは過去の歴史から続き、現在にも残る風習などから諦めは始まります。

女性がセックスを諦める背景を語るには、日本の歴史の振り返らなければなりません。出来るだけ易しく書きますので、なんとなくでもご理解下さると嬉しいです。

日本は、江戸時代に儒教による統治強化で、家長制度を中心に男尊女卑に傾倒し初め、明治時代にも儒教的価値観の元、戦争等の要因も加わわり、男尊女卑のピークを迎えます。そして、第二次世界大戦の敗戦までそれは続きました。

江戸時代からの家長制度は、女性は家と家とを繋ぐ役割として、男性と結婚していました。もうそこには、女性がセックスの質など考える余地はありません。決められた相手の性を受け入れる事以外に選択肢はない時代でした。

明治時代に入り、家長制度は廃止されるものの、長年続いた慣習は変わらず、更に加えて、戦争の矢面に立つ男性を敬う事を、初等教育から純潔教育等で刷り込み、セックスを男女から遠ざけました。男尊女卑は明治時代がピークだったとも言われています。こういった社会背景ですから、当然セックスは男性優先が当たり前で、女性は自らの幸せすら望めない虐げられた立場でした。

この状態は昭和の第二次世界大戦敗戦まで続き、敗戦後GHQにより日本国憲法が制定され、男女平等が憲法に組み込まれて、ようやく男尊女卑から離れ始めました。しかし長年続いた男尊女卑の慣習は、そう簡単に変わるものではなく、やはり男性が優先のセックスは続きます。

敗戦から70年、昭和から平成、令和へと時代は進みましたが、日本の男女平等は先進国で最下位と言われています。男尊女卑はまだまだ私達の潜在意識の中に深く根ざしています。

こうした歴史の進みや背景から、未だにセックスは表立って語られない、語ることがタブーとされる認識が現在の標準です。そのような環境下では、女性からセックスによる幸せを求める事はタブー視されています。女性は育ちながらにして、積極的なセックスをタブー視される風潮から、成長過程のセックスをする前の段階から、諦め気味になってしまうのです。先ずここが土台です。

思春期になり、女性も性欲に目覚めます。しかし、刷り込まれたタブー感などから、どうしてもセックスは後回しがちで、脈々と引き継がれた、日本独特の貞操観念が積極的なセックスを阻害します。

日本の貞操観念は、脈々と受け継がれた儒教精神や過去の純潔教育などの影響で、セックスは、この人!と決めた相手とするものだと思われています。恋愛してお付き合いが始まってようやくセックス解禁となったり、更に少なくなりましたが、結婚するまで処女を通すといった様な事に拘る方もまだいらっさゃいます。

とある女性は、大好きな人とセックス出来た事に最初はとても幸せを感じました。しかしセックスを繰り返す毎に、彼のセックスが気になり始めます。

自らの射精が終わればさっさと寝てしまったり、セックスしたくない日に強引に迫られたり。でも人物として彼が大好きなので我慢します。

お付き合いも長くなり、結婚する事になりました。セックスは相変わらず淡白で、女性が満足する事はありませんでした。

やがて妊娠し子育てが始まります。慌ただしい日々でセックスどころでは無いところに、彼はまたセックスをせがみます。疲れ果てていますが妻の務めだと思って我慢します。

子供が保育園に通うようになり、ママ友が出来ました。同じような境遇なので、皆さん家庭の愚痴を吐露します。

そんな中で、あるママ友さんが、旦那様との赤裸々なセックスの話を聞かされます。子供が寝てから、毎晩の様にセックスをしていると。余程絶倫な旦那様なのだろうと思って話を書き続けると、なんとママ友の彼女の方が積極的にセックスを誘うと言うのです。

セックスによってリフレッシュしているママ友が輝いて見えました。彼女はそれを聞いて愕然とします。

私はセックスを諦めてしまっている。あの旦那のせいだ!うわぁ〜私、相手選び間違えたかも。。。

良くある話ですが、こういう男性が自らの性欲を優先した「子供のセックス」を繰り返す事で、いつしか女性はセックスによる快感の享受を諦めてしまうのです。これが現実的なセックスの諦めです。

最初に語った、歴史的な日本特有の貞操観念でセックスに期待を持てずに育ち、現実的な生活で、セックスを諦めてしまうのです。この2段構えの諦めは、とても強固な価値観となり、今も日本の社会を取り巻いています。

よく「男なんてそんなものよ」この言葉を耳にする事があると思います。ガールズトークでは定番のフレーズかも知れません。この言葉には秘められた諦めが募っています。男に期待するだけバカを見ると言わんばかりの言葉です。

また、出会い系サイト等に溢れる、個人売春の女性達も、表面上はそんな素振りをしませんが、根本的にセックスを諦めています。何故なら、セックスする事自体に女性が損だと決め込んでいるからです。セックスは女性が損をするものだから、お金を貰うのは当然だと思っているのです。また、それを当然だと思う男性も居ます。

この潜在意識にあるセックスの諦めは、性風俗や夜の飲み屋さんなんどにも共通する部分ですし、またデート時に男性が奢るのが当然だというのも、関係が有りそうです。

この環境を覆すのは、容易な事ではありません。しかし、男性の一人一人が女性満足を優先した大人のセックスを実践すれば、女性の根底にあるセックスの諦めを少なくする事が出来るかも知れません。いや、必ずそうなる、必ずそうしないと、女性はおろか男性も性的な幸せを享受出来なくなるのです。

コメント

  1. tuguo より:

    いつも拝見いたしております。大切なことを教えていただきありがとうございます。よろしくお願い申し上げます。

  2. shin より:

    とても良い事を教えていただきました。
    今後は、この事を念頭に入れ、女性と接したいと思います。

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